色盲と私
ご挨拶
このサイトの管理人、SKです。
インターネット関係の仕事をしています。
このサイトを立ち上げようと思ったのは、色盲というのが、あまり日本では認知されていないと感じることが多いためです。
特に私はインターネット関係の仕事をしているなかで、ウェブサイトのアクセシビリティの話題が出ますが、この部分で色盲者への配慮というのが日本ではあまりなされていません。欧米のサイトでは、色覚異常者への配慮がある程度なされているウェブサイトが増えてきましたが、日本では公共のサイトや大手企業のサイトでさえ、まだ十分に考えられていないのが現状です。
その一番の理由は、ウェブ制作の現場には色覚異常者は通常少ないので、その立場が理解できないというのが一番だと思います。
また、日本特に首都圏では、地下鉄が発達していますが、この地下鉄の路線図は様々な路線で色分けがされています。この色分けも色覚異常者に対してはあまり配慮がされていないと言えます。
おそらく、ここで説明しても「なんのこっちゃ?」ということだと思いますので実際の私の体験談などから、色覚異常、色盲について少しでも理解が広まればと思います。
なお、色盲で悩んでいらっしゃる方がいらっしゃれば、一緒にその悩みが解決できればと思います。
管理人と色盲
まずは簡単に自己紹介を。
1976年6月に静岡県浜松市に生まれました。
未熟児で生まれたからか、体が少し弱く、風邪も引きやすかったものの、大きな病気や怪我もなく順調に成長しました。
正直勉強はできるほうだったと思います。(小中までですが・・)
小学校1年生のときから、小学校のテストは基本的には100点をとらなければいけないという強迫観念にさいなまれておりました。
そんなある小学校1年生の出来事。
健康診断のようなものがあり、まずは視力検査を。
左右ともに2.0!他も順調に進んでいたところ、最後に良く分からない○やら●がたくさん書かれた本が開かれました。
「数字読んでみて」と担任のK先生に言われたのですが、「数字?ないです」という状態。
当時K先生には、可愛がってもらっていたのですが、数字が見えないと言うと突然怒り出し、「D君でも読めたのにあんたはなんで読めないの!」と叱責されました。ちなみに、D君は養護学級に通う子。その子と比較されて「あんたは馬鹿なの?」と言われたのをはっきりと覚えています。
私は、小学校1年生でしたが特に泣き出すわけでもなく、「何も書いてないのに変なこと言うなあ・・・」程度にしか思いませんでした。
家に帰って母親に言うと、母親は動揺していました。
後で知りましたが、幼稚園時代に、私が書いた像がピンク色だったり、太陽が緑だったりして少しおかしいなとは思っていたようです。
その後、眼科で再検査すると、赤緑色盲であることが判明しました。
今でこそ色盲・色覚異常は生きていくうえでの障壁はほぼないのですが、かつては理解がなかったのか、公共交通機関の運転手になれなかったり、建築士になれなかったりといろいろと職種に制限があったため両親はかなり心配して、何か治す方法がないのか調べまわったようです。先天性で遺伝的なものなので、もちろんそんなものはないのですが・・・。
そんなこんなで、はっきりと自分が色覚異常者、いわゆる色盲であることがわかったわけですが、それでもあまり気にすることなく人生を送っていきました。大学3年生の秋までは・・・・。この続きは、色盲で困ったことのところで書きたいと思います。
管理人の色覚異常
一応眼科では、2型中等度とされています。
その時は、「限りなく色盲に近い色弱」と言われたのは覚えています。
今現在は、もう少し細かい分類で言われたりするみたいですが、何せ最後に計測したのが10年以上前なのでなんとも・・・。
たぶんですが、今で言うと2型3色覚かなあ・・・。
判別しにくい色は、一般的に言われる「赤と緑」「青と紫」「灰色とピンク」などです。その他にも「黄緑と黄土色」とかそれぞれの色の要素が入ったりすると判別がしにくくなります。
このサイトについて
こういう内容のサイトながら、とりあえず情報発信からと考えて、無料のテンプレートを使って作っています。
そのうち、デザインや色合いを変えて、色盲者独特の色使いも見ていただきたいなあと思いますが、とりあえずはこの形でスタートします。
なお、当面はこういうサイトにも関わらずアクセシビリティには配慮ができません。時間ができたらCSSを調整していきたいと思います。
なお、当サイトの内容については管理人の経験に基づいて、管理人の主観で作成しています。
誤った情報があれば訂正させて頂きますので、ご連絡ください。
また、一部の方には不快な思いをする方もいらっしゃるかもしれませんが、その場合はブラウザを閉じて頂きまして、ご容赦いただけますよう御願いいたします。